岐阜城/金華山

LetsNOTE R6のディスク容量が逼迫してきて、写真の整理をせねばとHDの中を見ていたら、写真に引き込まれて整理どころじゃなくなってしまった。そのなかで2005年に出張で岐阜に行ったときの写真が出てきた。
もともと私は岐阜との縁はあまり無い。中部地方は別な出張で松坂に行ったことがあった程度である。
昔萌えた戦国史で最も有名な人物である織田信長ゆかりの地であるため、本を読むたびに名前を目にしていたが、私のテリトリが九州戦国史だったためそれほど気にしたことは無かった。
ただ後に九州に領地を貰う黒田官兵衛が信長とのつながりを持っていたことや、小説などで竹中半兵衛斎藤義龍から稲葉山城を奪ったエピソードなどを知っていたぐらいである。
岐阜と言う名前で連想をしていたのは長野の隣であると言うことと稲葉山城岐阜城が堅固な山城であると言うことからえらく山がちな土地じゃないかと言う(誤った)イメージであった。
出張で岐阜に上司と来たとき、まぁその上司も戦国萌え(上杉謙信萌え)だったので岐阜での予定が終了しタクシーに乗ったときにまだまだ日が高かったので、どちらからともなく岐阜城に行ってみようと言う事になった。
夕方近くにロープウェイに乗って上に上がっていった。
岐阜城の城域はまぁ信長のお城の跡だと言うこともあってきちんと整備されていていた。

平日の夕方前だったのであまり人はおらず、私と上司はおのおのの興味が赴くままにあちらこちらをふらふらと別行動した。有名なお城で縄張り図は何度か目にしていたが実際に見るのとは大違いであった。
コンクリート作りの岐阜城(まぁ、全国の天守閣は概ねコンクリート作りであるが)の一番上から濃尾平野が一望できた。横を流れる長良川の水運と濃尾平野の農業の力は百篇本を読み地図を見るよりも一目瞭然であった。百聞は一見にしかずの見本みたいなものだ。

夜、うちの顧問と上司とで岐阜市内で食事をしたが、そのときの話題もそのときのことであった。メインはお城の話ではなく自分たち如何に予断を持って物事を見ていたか、と言うことだった。金華山から見た濃尾平野長良川はそれほどの迫力を持って上司と私の蒙を開いてくれた。現地に身を置いてみないと本質には触れられないのだなぁと。
9月上旬の暑い時期だったので緑がまだまだ濃かったことを思い出す。
機会があればもう一度行って見たいものである。