水槽で飼うと言うこと

よそ様のBlogで水槽話が久しぶりに出た。と思ったら水槽から順次撤退して自然界で生きてゆく魚の観察にシフトしたいと言うことみたいである。
仰せのことはよくわかる話で、私もここのところ釣竿を持って用水路に行きたいと思うことが少なくなっている。それは寒いせいだけではなさそうだ。
生き物を買っているから死ぬことがあるんだけど、それがどうにも胸が痛む。折角釣り上げて生かしているのにまるで殺すために釣り上げたような気がして。
自然環境での生存率と水槽での生存率を比べようにもデータが無いので殺すために釣り上げているかどうかはわからないんだけど、気持ちの問題として目の前で浮いていたり貝やら海老の餌になって骨になっているのを見るといい感じはしない。
それに自然に泳いでいるやつと比べると正直見劣りする。
バラタナゴ系は見事なまっかっかな婚姻色が魅力なんだけど、水槽の中では自然界の色は出さない。家で飼っていたニホンバラタナゴにしてもタイリクバラタナゴにしても自然界では見事なばかりの婚姻色を出す。

これはニホンバラタナゴを釣り上げたばかりの状態。実はこれでもかなり色が落ちている。

メスの陰になってよく見えないけど、水槽内のオスの婚姻色。うちではこれでいっぱいいっぱい。ドブガイやらマツカサガイを入れてハフハフ言わせてもこの状態。
一目瞭然です。
自然と同じ環境を自分が提供できると思うのは傲慢にすぎるとか?

一方、お魚さんは水槽ごと知っている老人ホームに提供しているんだけど、そこのディサービスのじーさん、ばーさんに好評らしい。自分たちが子供の頃に川で遊んでいたときの馴染みらしいし、そうではないお年寄りも日がな一日魚が泳いでいるのを眺めて和んでいるらしい。そうやって喜んでくれる人がいてくれるので良いのかとも思うよ。

水槽はいまでもいろんなことを感じさせてくれるので私は当面は止めはしないだろうと思う。だけど、飼って見てわかる自分の内面があるんだなと。